「すぐそばにある『貧困』」(大西連著)に寄せて

緊急事態宣言発令中の4月~5月は、ことぶき協働スペースも臨時休館を余儀なくされました。

一足先にテレワークを始めていた妻に続き、私も人生初のテレワークをスタート。

「自宅にいながら『テレビ電話」を通じて遠隔で仕事ができるなんて、子どもの頃に見たSFの世界そのものじゃないか」

時代の進歩に感動しながらスタートした私のテレワークでしたが、保育園の預かり中止にともなう仕事と育児の両立により、理想とはかけ離れた展開が待っていました。

保育園のありがたさを噛みしめつつ、仕事と襲いくる2人の子の世話に疲労困憊の2か月間を過ごしました。

そんなテレワーク中も、極力テレビを付けて新型コロナウイルス感染症(以下単に「コロナ」という。)に関する情報に接するよう心がけていました。

コロナの拡大状況と併せて連日報道されていたのは、コロナ禍にともなう日本経済の停滞。

大幅減収となった飲食業・観光業・レジャー産業、仕事の受注がなくなったフリーランス、雇止めされた派遣労働者、そして職場を解雇された失業者など。

コロナ禍の直撃を受けた方々の厳しい現実を伝えていました。

それと同時に、仕事や住居を失った人々を支援する「もやい」「府中緊急派遣村」などの支援団体を追った特集番組も報道されていました。

この世界に飛び込んで1年足らず(当時)の私ですが「認定NPO法人自立生活サポートセンターもやい」そして理事長「大西連」氏の名は存じ上げていました。

コロナ禍においても地道に支援活動を続けるもやいに興味が湧いて、気付いたらAmazonで彼の著者を購入していました。

それがこの「すぐそばにある『貧困』」(ポプラ社)です。

貧困などの社会問題をテーマにした本といえば、社会学者やジャーナリズム精神溢れる記者が書いた教科書か論説文のように難解なものを想像しますが、本書は大西氏の体験記としてまとめられており、大変読みやすいと感じました。

専門的なことは最低限に抑えられており、おそらく本書は日ごろ「貧困」に関心を持たない人々に日本の貧困現場を知ってもらうことを第一に書かれたのだろうと想像します。

大西氏が支援活動をはじめて間もない頃、まだ支援の右も左も分からないからこそ感じた率直な気持ち、とまどい、葛藤などが物語調に書かれています。

私が注目したのは、大西氏が困窮者支援の世界に巻き込まれていく過程でした。

ご存じのとおり今やもやいは日本を代表するNPOです。

大西氏はその理事長を務める方。

きっと大学や大学院で社会学か政治学を専攻し、崇高で強い意志を持ってこの世界に足を踏み入れた方なのだろうと想像していました。

ところが私の予想はまったく当たっていませんでした。

なんと彼は高校を卒業したあと明確な夢を見いだせないままフリーターとなり、バイト先の先輩から炊き出しに誘われたことがきっかけで、この世界に関わるようになったというのです。

中途半端な気持ちで務まる仕事ではありませんから、謙遜して書かれているところはあると思います。

もともと彼が心の奥底に秘めていた、世の中の不公平や不条理に対する疑問か、貧困を他人事と割り切れない共感性の高さか、何かは分からないけれど彼を付き動かす動機があったはずです。

何か大きなものに突き動かされるようにこの世界に身を投じていく大西氏の姿が描かれています。

私も期せずして寿のまちに関わるようになって1年3か月になりますが、このまちに向き合うほどに自問自答の迷宮に込んでいます。

貧困って何だろう。

支援って何だろう。

寿のまちが目指すべき未来って何だろう。

寿のまちは、どんな人でも受け入れる懐の深さを持っているといわれます。

さまざまな人生、立場、事情、価値観、思いを持った方々が暮らすまち。

そんな寿のまちで画一化された「答え」を見出そうとすることは不可能であり、無意味なのかもしれません。

住民一人一人の声に耳を傾け、一人一人に寄り添った活動を地道に続けていくことが、このまちに関わる私たちに求められているのだと思いながら、今日も寿のまちに通っています。