あの時、我々が彼を見ていたら? 『誰もボクを見ていない』(山寺香著)に寄せて

『誰もボクを見ていない』書影
山寺 香 著『誰もボクを見ていない』

 
 毎日新聞社会部記者、山寺香さんが書いた「誰もボクを見ていない〜なぜ17歳の少年は、祖父母を殺害したのか〜(ポプラ社)」を読んで、他人事とは思えない感覚にとらわれた。これは2014年3月に埼玉県川口市で起こった当時17歳の少年による祖父母殺害事件のドキュメンタリーである。


 少年は被害者である祖父母に可愛がられていたという。ときどき訪問しては小遣いをもらったりすることもあった。そんな少年が、なぜ大事な祖父母を殺してまでも金を奪うに至ったのか。本の巻末に少年と家族をめぐる年表が記載されている。それによると、1996年に少年が生まれ、7歳の時に両親が別居、さらに3年後に正式に離婚することとなって10歳でシングルマザーとの生活が始まる。彼が小学校4年生の時である。以来、その少年は学校に通わせてもらうこともなく、時々ふらっと家を出ていなくなってしまう母親との生活の留守をひとりぽっちで守るようになる。そのうちに母親は新しい男と暮らしはじめ、少年もその生活の中に取り込まれていく。やがて彼が12歳の時に母親が妹を出産するが、面倒はもっぱら少年の役割となった。そんな数年間のなかで、彼らは1年ほどこのまちの簡宿で暮らしていた時期があった。

 そのことを知って思った。その頃、我々がここで活動を始めていたら、どうしていたか?何かしらのアクションをとることができたろうか?それは確かに妄想であるが、寿のまちの光景を当たり前にみるようになった我々自身に、日々問いかけられている気がするのだ。今何かを見過ごしていないか。見過ごしたままで大丈夫か?

映画「マザー」配布チラシ
映画「マザー」配布チラシ

 この本を素材とした映画がこの夏に公開され、そこでも彼らが簡宿で暮らす様子が描かれている。そして寿のまちからフリースクールに通っていた彼を見守り、なにくれとなくサポートしようとするが結局果たせず退いてしまうケースワーカーが登場する。無念の思いが見て取れ、我々がもし、との仮定を考えた時、その結末を突き付けられたような気がしてならなかった。
 そして、この話はメディアでもかなり関心を持って取り上げられ、数か月前のあるTV番組で、少年の裁判を担当した元裁判官が出演して法廷での出来事を語っていた。被害者側証人として母親の姉が登場する。少年にとって伯母になるわけで、実際何度か訪れてきた少年にその都度いくばくかの現金を渡していたという。その証人が「いい子だったし可哀そうとの思いもあったけど、あんなに大事にしてもらっていた祖父母を殺めるなんて許せない。厳罰に処してほしい」といったことを述べた。裁判長は証人である伯母に次のように問いかけたという。「誰か少年を助けられなかったのか。こんなになるまで放っておいて。これだけ大人たちが揃っていて」。

 大人の責任って何だろう、と思う。それは、単に自分の子どもに対してだけのものではない。自分の周囲にいるすべての子どもたちに対して我々大人は責任を持っている。そしてそれはこの国の未来への責任でもある。未来を創るのは子どもたちなのだから。



 ご紹介した本は、現在ことぶき協働スペースに展示されている。10月から始まった中区主催の「なか区ブックフェスタ2020」に参加していることぶき協働スペースでは、<ストリート展 -廻る 宿る 越える->と題してさまざまなジャンルの出版物を展示しており、この本は<光と影>というジャンルに分類された1冊である。どの本も気軽に手に取って読むことができるので、この機会にぜひお越しいただければと思う。