寿地区で働く女性にお話を聴かせていただきました ~Tさん(第六浜松荘)~

    

   

男性が多い寿地区。ですが、働いている人々は女性が多い印象を受けます。福祉のまちと呼ばれるようになった現在では訪問介護員、飲食店やスーパーの店員、病院や福祉作業所や公共施設の職員などさまざまな人々が働いておられます。寿地区で働く女性たちに話を聴くことで、新たな視点で見えてくる“寿のまち”があるのではないか?女性の視点から語られることが少ないこのまちで根を張り、時に厳しく時に温かく地道に関係性を築き上げている女性たちを皆さんにご紹介したいと思います。

   

   

長年帳場(簡易宿泊所の管理人)の仕事を続けられているTさんにお話を伺いました。
現在はもう閉館してしまった第二浜松荘で40年以上働いておられ、一年ほど前から第六浜松荘の帳場を任されています。
寿地区の移り変わりを直に肌で感じながら見守ってきた方です。

   

   

―――働き始めたきっかけは何ですか?

約60年前に集団就職で宮崎県から夜行列車に乗って上京し、船舶で雑巾掛けなどの仕事をしていました。当時は100人位の働き手が女性も男性も混ざってバスに乗って一緒に働きに出ていたのです。
その頃お世話になっていた方から「怪我もしやすい危険な仕事は辞めてうちの管理をしてくれないか?」との誘いを受けて、帳場の仕事を始めました。
第二浜松荘で40年以上働いていましたが、老朽化による閉館をきっかけに第六浜松荘での仕事に移りました。

  

   

―――現在の仕事内容について教えてください

朝の6時から夕方6時まで、ほぼ毎日、掃除やお金の管理、消防点検に立ち会うなど施設管理も行っています。
住民の名前を覚えて、コミュニケーションも大切にしています。

   

   

―――住民の方たちとはどのように交流していますか?

第二浜松荘の時は20人位だったからみんな気心も知れていて、家族みたいでした。
用事があってちょっと出掛ける時は、「ちょっと見といて~」と留守を任せられる人もいましたし。
働いて一年程になる第六浜松荘には70人前後の宿泊者が居て、全員の名前と顔を覚えています。
対応が大変だったことはあまりありませんが、病気になっても病院に行きたがらない人がいるときは困りますね、行けと言っても行かないから、ヘルパーさんに時々様子を見てもらえるように頼んで見守っています。

  

   

―――お母さんみたいな存在ですね

実際にお母さんって呼んでくるお客さんもいますよ。
皆のお母さんみたいな存在に本当になれていたらいいですけどね。

  

  

―――縁や孤独についてどう思いますか?

この前も「俺は家族もいないからいつ死んでもいい、富士の樹海で死にたい」と言う人がいました。
寂しい人が多いと思います、逆に寂しいから強がってなかなか甘えられないのでしょう。
昔は近くの簡易宿泊所で亡くなった方へお線香をあげに行ったりしていましたが、管理人の入れ替わり等でその習慣が無くなり今はもうそんなことも無くなりました。

  

   

―――女性として配慮が必要だったことはありましたか?

女性だから気を付けていたことは特段ありませんが、命の危険を感じたことは数回あります。
階段から突き落とされそうになったこともありました。
上層階になると人目が無くて危ないので、夫が代わりに部屋の案内をしてくれていました。夫が他界して大分経ちますが、それ以降は自分で案内しています。

  

  

―――40年前の様子について教えてください

簡易宿泊所自体まだ少なかったです、今のような鉄筋ではなく木造でした。
その頃は宿泊所の中にお風呂があったんですよ、感染症対策で取り締まりがキツくなって徐々にシャワーに変わっていきましたけど。
最初の頃は怖かったですね、まち中で堂々と薬の取引をしていたり、女性の帳場さんはほとんどいませんでしたから。
昔は家族と一緒に管理人室で寝泊まりしていた事もあるのですが、窓口のガラスを割られて消火器が投げ込まれて、火をつけられたこともあります。
昔の人達は乱暴な人もいましたよ、子どもの自転車を含めてけっこうあちこち燃やされました。
部屋の中で亡くなっている人もたくさんいました、アルコールが原因のことが多かったと思います。

  

   

―――当時は子どもたちが多かったようですね

子どもがたくさんいてとても賑やかでした、本当に子どもがいっぱいで、男性だらけのイメージよりも子どもだらけのイメージが強く残っています。
保育所ができるまでは子どもたちはそこら中で遊んでいましたし、寿地区全体が親戚みたいな関係でした。
交番の警察官と子どもたちは仲良しで、友達みたいな関係を築いており本当に親切でした。
親同士で集まって仲良く色んなことをやりました。
横浜市内に市営住宅が出来始めて、それまで二畳の部屋で生活していた家族連れが引っ越したり子どもが独立したりで、どんどん人が少なくなっていきました。
最近は子どもが少ないのが問題ですかね、繋がるきっかけが無くては繋がりようがありませんから。
本当に昔の寿は活気があって元気で賑やかで、あの雰囲気が好きでした、懐かしいです。

  

  

―――現在のまちをどう思いますか?

今は本当に落ち着いています、高齢者ばかりで活気が無いです。
そして、皆ピリピリしている印象を受けます、神経質になり過ぎていると思います。
もともと過敏なのか、コロナの影響なのかは分かりませんけど、ちょっとしたことですぐにヒステリックになる人が多いです。
昔は館内で大声出して騒いでいても文句を言う人はいなかったですが、今は扉の開け閉めの音が大きいだけで「うるさい!気を付けろ!」って怒鳴ってくる人もいる。
住民同士の争いも増えました、本人達が警察を呼んで、いきなり警察官が来て事態を知ることもあったり。
隣同士にするとトラブルの元になるので、入居してもらう時は出来る限り一部屋ずつ間をあけるように工夫しています。
私はお客さん達と気軽に挨拶をして近況を話し合う関係を望んでいますが、お客さんの方はあまりコミュニケーションを取りたがりませんね、皆で仲良く穏やかに過ごそうっていう気持ちを感じません、とても寂しいことだと感じます。

  

    

―――記憶に残っている事は何ですか?

まちの貸し切りバスで子どもたちと一緒に動物園へ遠足に行った事ですかね、20~30年は色んなレクリエーションがあって楽しかったです。
思い出はみんな通り過ぎてしまいあまり覚えていません。
でもその時代は本当に楽しかったです。

  

  

「長年帳場さんを続けてこられた秘訣は何なのでしょうか?」という質問に「きっと図々しかったのでしょう、無頓着だったから続けて来られたのだと思います。」と笑いながら話してくださったTさん。優しい笑顔は本当に皆のお母さんという雰囲気です。そんなTさんの記憶に強く残っているのは、治安が悪く危険なまちではなく、子どもが居て活気に溢れ、親たちのコミュニティが育まれていた楽しいまちの姿でした。
山下公園から見える海が故郷の景色に似ているからよく散歩に行くのだと教えてくだいました。同じく故郷から遠く離れたこの場所で生きていく選択をした住民の方たち、共感し寄り添ってくれるTさんの存在は大きかったのではないでしょうか。
40年以上に亘るまちの変化を聴かせていただき、昔の情景が目に浮かんでくるようで、まちへ対する私の理解が更に進んだようで嬉しかったです。